「部門別の人件費と、部署ごとの残業時間を出してほしい」。経営会議の資料づくりでこう頼まれて、手が止まることがあります。支給額は給与システム、労働時間は勤怠システム、どの社員がどの部署に所属しているかは人事システムと、必要な数字が3つに分かれて置かれているためです。これらを部門単位でまとめるには社員と組織を同じコードで指せる必要がありますが、実際にはシステムごとに別のコードが振られていることが少なくありません。本記事では、人事データ(組織マスタ・社員コード・職歴・スキルデータ)の不一致がどこで生まれるのかと、それをそろえていく手順を扱います。なお、個人情報保護法は利用目的の達成に必要な範囲内で個人データを正確かつ最新の内容に保つよう努めることを求めています(努力義務)。この点については個人情報保護法とデータ品質の関係:「正確性確保」が企業に求めることで詳しく解説しています。
人事データの主な品質問題
- 組織マスタの複数システム間不整合:組織コード・部署名が基幹システム・HCM・勤怠システムで異なる表記で管理されており、システムをまたいだ部門別の集計が難しい。システムごとに組織コードを別々に持っていることに加え、組織改変時の更新が足並みをそろえないことが重なります
- 社員コードの重複・再利用:退職者の社員コードが再利用されていて同じコードが時期によって別人を指す・派遣社員やアルバイトと正社員が同じコード体系で混在している・合併時に社員コードが重複したまま整理されていないケースが見られます。番号が飛んでいること(欠番)そのものは問題ではなく、同一人物を一意に識別できるかどうかが論点です
- 職歴・スキルデータの欠損:入社から現在までの職歴(部署・役職・異動履歴)が一部しか記録されていない。特に、ある時点以前のデータが紙台帳やExcelでしか存在しないケースが多い
- 勤怠・給与データの修正履歴が残らない:勤怠の修正・給与の調整が上書きされており、元のデータと修正経緯が追跡できない
なぜ部門別の人件費と残業時間が出せないのか
人事に関する情報は、1つのシステムに収まっていないのが普通です。社員の基本情報と所属はHCM(Human Capital Management:採用から配置・評価までの人事情報を一元管理するシステム)や人事システム、出退勤と労働時間は勤怠システム、支給額は給与システム、評価は人事評価システムと、目的ごとに分かれて動いています。これらは別々の時期に別々の部門が導入してきた経緯があり、組織や社員を識別するコードもシステムごとに発番されていることが少なくありません。
部門別に集計するということは、給与システムが持つ支給額と、勤怠システムが持つ労働時間を、人事システムが持つ所属組織に紐づけるということです。このとき鍵になるのが社員コードと組織コードですが、桁数や採番ルールがシステムごとに違う、退職者のコードが再利用されていて同じコードが別人を指す、合併時に重複したコードが整理されないまま残っている、といった状態では突き合わせが成立しません。結果として、担当者がExcelで対応表を作って手作業で集計する運用に落ち着いてしまいます。
「揃える」には2つのやり方があります。全システムで共通の組織コード・社員コードに統一する方法と、システム固有のコードはそのまま残し、共通IDや対応表で結びつける方法です。前者は集計が単純になりますが、既存システムの改修やパッケージ製品の仕様に阻まれて実現できないことがあります。後者は改修を最小限にできる一方、対応表を維持し続ける担当と手順が必要です。どちらを採るかは改修コストと運用負荷の比較で決まり、一方が常に正解というわけではありません。
もう一つ、コードと同じくらい集計結果を左右するのが期間の扱いです。所属には適用開始日と終了日があり、給与と勤怠にはそれぞれ対象期間があります。期の途中で異動した社員の支給額と残業時間をどちらの部署に計上するかを決めていないと、同じ月の数字が集計のたびに変わります。また「人件費」が何を指すか——給与の支給額だけか、会社負担の社会保険料や賞与まで含むのか——も先に定義しておかないと、経理が出す数字と合いません。組織改編の前後を比較するときに、現在の所属部署だけで過去の給与や勤怠を集計してしまうのも、よくある食い違いの原因です。
組織改編が入ると、ずれはさらに広がります。4月1日付で2つの部を統合しても、人事システムには新しい組織が登録され、勤怠システムは旧組織のまま運用が続き、給与システムは締め日の都合で切り替えが翌月になる——という時間差が生じることがあります(どの時点で切り替えるかは各社の運用によります)。この期間は、同じ月の人件費と残業時間が別々の組織区分で集計されることになります。部署別の人員数が合わないという形で気づくこともありますが、それは症状であって、原因はコードの持ち方にあります。部門ごとに別々のコードを設計するとどこで食い違うのかは、「商品コードや顧客区分が部門ごとにバラバラ」——マスタデータの分類設計でトラブルを防ぐ考え方で扱っている考え方がそのまま当てはまります。
整備の優先順位:HR DXの目的から逆算
- タレントマネジメント(スキル・キャリアパス可視化)が目的:職歴・スキルデータの整備とHCMへの登録が最優先。過去のExcel台帳のデジタル化から着手します
- 人員計画・組織可視化が目的:組織マスタの整合性確保が最優先。全システムで共通の組織コードを使う方法と、固有コードを残して対応表で結ぶ方法のどちらでも構いません。組織改変時の更新フローと適用日のルール整備もセットで必要です
- 給与・勤怠の正確な集計が目的:勤怠データの修正フローと変更履歴の記録、勤怠・給与システム間のデータ整合性チェックを優先します
人事データ整備の実務ステップ
HR DXの目的が定まったら、データ整備を実務として進めるためのステップを確認します。人事データの整備は「個人情報の保護」と「業務の継続性」を考慮した慎重な進め方が必要です。
- Step1(現状の棚卸し):保有する人事データのシステム一覧(HCM・勤怠・給与・評価)と、各システムで管理している項目・件数・更新頻度を整理します。システム間で同じ情報がどのように分散しているかを「人事データマップ」として可視化します
- Step2(主要マスタの整合性確認):組織コード・社員コード・役職コードを各システムで突合し、不一致・欠番・重複のリストを作成します。この段階で整合性の現状を数値化(一致率・重複件数)することで、整備の優先度付けができます
- Step3(業務部門との合意形成):整合性の問題リストを人事部門・給与部門・IT部門で共有し、「どのシステムの値を正とするか(マスタシステムの設定)」「コード体系をどう揃えるか(共通コードに統一するのか、固有コードを残して対応表で結ぶのか)」を合意します。この判断は業務部門にしかできないため、IT単独では進められません
- Step4(クレンジングと移行):合意した基準に基づいてデータをクレンジングします。大量データの場合はスクリプトで自動化し、例外ケースは手作業で対処します。クレンジング前後のデータを保管し、問題発生時に元に戻せる状態を維持します
- Step5(変更管理フローの整備):整備完了後も人事異動・入退社のたびに組織マスタ・社員コードが正確に更新される変更管理フローを設計します。「誰が・いつ・何を更新するか」のルールを明文化し、定期的にモニタリングします。申請・承認・履歴記録をどう設計するかはマスタデータの変更管理:変更申請・承認・履歴記録の設計が参考になります
個人情報保護・プライバシー管理との両立
人事データは個人情報保護法・マイナンバー法・各社の就業規則の観点から、取り扱いに特別な配慮が必要です。データ品質の整備プロセスでは以下の点を確認します。
- アクセス権限の最小化:整備作業にアクセスできる人員を最小限に絞り、作業目的に必要な範囲のデータのみを扱います。マイナンバーを含むデータの整備には特に厳格なアクセス管理が必要です
- 作業環境の安全性確保:クレンジング作業を本番システム上で行うのではなく、テスト環境・ステージング環境を用いて行い、完成したデータのみ本番に反映します。外部委託を活用する場合は、委託先の選定・契約内容・取り扱うデータの範囲・アクセス権限・安全管理措置を確認します。個人データの取り扱いを委託するときは、個人情報保護法が委託元に委託先への必要かつ適切な監督を求めている点に留意し、必要に応じて秘密保持の条項を設けます
- 保存・削除のルール:退職者の人事データをいつまで保管するかのルールを、データの種類ごとに確認します。労働者名簿・賃金台帳などの労働関係書類は労働基準法上の保存期間が原則5年で、経過措置として当分の間は3年とされています。起算日は書類の種類によって異なり、税務・社会保険の関連法令で別の保存要件がかかるものもあるため、削除する前に対象データと適用法令を突き合わせます
HRツール導入前に整備すべきデータ
タレントマネジメントシステム・HCM・eラーニングなどのHRツールを導入する前に、どのデータを整備しておく必要があるかを整理します。整備なしでツールを入れると、ツールへの移行データの不整合が問題になります。
| HRツール | 導入前に整備すべきデータ | 整備しないと起きる問題 |
|---|---|---|
| タレントマネジメント | 社員の職歴・スキル・評価履歴 | スキルマップが不完全で活用できない |
| HCM(人事コア) | 組織マスタ・社員コード体系 | システム移行時に大量のマッピングエラー |
| 勤怠・給与連携 | 勤務区分・給与テーブル・社員コードの対応関係 | 計算エラー・支払いミスのリスク |
| eラーニング・研修管理 | 社員コード・組織コード・役職区分 | 受講履歴が正しく社員に紐づかない |
HRツール別の導入前データ整備チェック
よくある質問
組織変更のたびに組織マスタの更新が遅れます。どうすればよいですか?
更新遅延の主因は「誰がいつ更新するか」のフローが不明確であることです。組織変更の決定からシステム反映までのプロセスを明文化し、人事部門・IT部門の役割分担と期限を社内ルールとして設定します(「発令から3営業日以内に全システムを更新する」といった期限は法令で決まっているものではなく、各社が運用に合わせて決める値です)。複数システムへの反映は手作業の代わりに自動連携(APIや定期バッチ)を設計することで、遅延と手作業ミスを防げます。
退職した社員のデータはいつ削除すべきですか?
データの種類ごとに確認が必要です。労働者名簿・賃金台帳・雇用・解雇・退職に関する書類は、労働基準法上の保存期間が原則5年で、経過措置として当分の間は3年とされています(本記事の執筆時点で経過措置は継続中です)。起算日は書類の種類によって異なります。年金・保険関係のデータは厚生年金保険法・雇用保険法等で別の期間が定められており、賃金台帳を源泉徴収簿と兼ねている場合など、税務上の保存要件が別にかかることもあるため個別に確認してください。また、将来の再雇用や業務上のトラブル対応の観点から一定期間は保持する方針が一般的です。法務・コンプライアンス部門と連携してデータ保持ポリシーを策定することを推奨します。
社員コードを統一すると、過去の勤怠データや給与データと紐づかなくなりませんか?
コード統一のために過去データを一律に書き換えるのではなく、旧コードと新コードの対応表を作って参照できるようにする方法が一般的です。確定済みの勤怠記録や給与計算の結果をコードの都合で書き換えると、当時の処理内容を説明できなくなり、監査や労使間の確認で困ることがあります。対応表を持っておけば、過去データは当時のコードのまま残したうえで、新しいコードを使った集計にもつなげられます。なお、過去データに誤りが見つかった場合の訂正は別の話で、これは社内規程に沿って行います。その際も元の記録・変更内容・変更日時を追えるようにしておくこと、対応表を誰が維持するかを決めておくことが前提になります。
まとめ
部門別の人件費と残業時間が出せない原因は、集計方法ではなく組織コードと社員コードの持ち方にあります。まず保有しているシステムとデータを棚卸しし、コードの不一致を件数で把握したうえで、どのシステムの値を正とするかを人事部門・給与部門・IT部門で合意する——この順番で進めると手戻りが起きにくくなります。整備が終わったあとも人事異動や組織改編のたびにコードは動くため、変更管理フローをセットで設計してください。人事データは個人情報を含むため、作業に関わる人員とアクセス範囲を絞ることも欠かせません。人事データの整備についてはBFT Insightにご相談ください。